酒との戦いの記録を残すため『禁酒日記』を書いている、『禁酒ブロガーさかもと』と申します。
禁酒を再開して256日目。
酒って、自分の意志で飲んでいるのでしょうか…
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アルコール依存者の禁酒日記115〜酒からの脱却〜
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禁酒日記116
2020年11月21日に禁酒を再開し、禁酒256日目。
今日の会社帰り、電車の中で飲むおじさんを見た。家に帰ってからゆっくり飲めばいいと思うのだが、家で飲めない事情があるのかもしれないし、家まで我慢できないのかもしれない。ただ、そのどちらであっても、それ以外の理由であっても、在来線の中で飲む人はアルコールに依存していると考えて間違いない。
何を隠そう、僕もそうだった。コンビニで買った酒を電車の中で飲んだものだ。なのでおじさんの気持ちはよくわかる。しかし、今そんなおじさんを見て思うことがある。それは
『その酒は飲んでいるのだろうか?それとも、飲まされているのだろうか?』
ということ。
もしおじさんにこのことを聞いたら、きっとこう言うだろう。
「自分で飲んでいるんだ!」
と。しかし完全に酒が抜けた僕から見ると、そのおじさんが飲まされているように見える。誰に飲まされているかというと、酒にだ。
昔マトリックスという映画があったが、あんな感じかもしれない。普段生活している現実は実はコンピューターが作りだしていて、実際は脳がコンピューターに支配されている世界。これに似ている気がする。マトリックスでは脳を支配しているのはコンピューターだが、このおじさんやかつての僕の場合は酒だ。酒が脳に「もっと飲め」と命令しているのだ。しかし、実際に飲んでいる当の本人は自分の意志で飲んでいると思いこんでいる。まさにマトリックスだ。
酒が抜けた今振り返ってみると、よくわかる。そのおじさんも車内で飲むのは人に迷惑がかかるとわかっていると思う。隅の方でこそっと飲んでいた。しかも、コロナ感染者がまた増えてきて緊急事態宣言まで出ている中だ。そんな中で飲むのはひんしゅくものだとわかっているのだ。
「私の生き甲斐は人に迷惑をかけることなんですよ。人の嫌そうな顔を見るのが人生の楽しみでして」
みたいな特異な人は別だが、そんな人でもない限り進んで人に迷惑をかける人はいないだろう。人に迷惑はかけたくない。でも飲んでしまう。なぜか?それは、抗えないものに命令されているからに他ならない。そしてそれが酒である。
僕なんてひどかった。電車で酒を飲みながら帰り、さらに家でも飲み、気を失うように寝落ちする。飲みにいったときも、「ラストオーダー」と言われれば大量の酒を頼み、さらに帰ってからの飲む。そして気を失うように寝落ちする。自分の意志で飲むのをやめれないから、体がシャットダウンするまで飲み続けていたのだ。しかしそれでも、自分の意志で飲んでいると思っていた。今考えると恐ろしい話だ。
飲む人のほとんどは「酒を自分の意志で飲んでいる!」と思い込んでいるだろうが、そんな人に対してすごく簡単な確認方法がある。それは自分の意志で飲むのをやめれるかということ。自分の意志で飲みはじめたのなら、自分の意志でやめれるはずだ。
「今日はこの一杯でやめておこう」
「昨日飲みすぎたし、今日は飲まないでおこう」
こういうふうに思ったにもかかわらず、一杯で済まなかったり、夜になると飲み出してしまう人は、もう脳が酒に支配されていると考えて間違いない。酒にそういう決断をするよう命令されているのだ。その現実をしっかり理解できれば、だいぶ楽になる。僕はものすごい時間がかかってしまったが、気づくと本当に滑稽だったと思える。
マトリックスの場合は相手がコンピューターという強敵だが、酒飲みの相手は酒だ。支配されているうちは強敵に見えるかもしれないが、勝ってみればたいしたことはない。さっさと気づいてやっつけてしまおう。
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アルコール依存者の禁酒日記117〜酒からの脱却〜
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