「アル中」は心の病気。では、どのようにしてそうなったのか?「物語風アルコール中毒〜なだいなだ著〜」より紹介します

なだいなださんの著書、「物語風アルコール中毒」の紹介記事、第2回目です。

前回はアルコール中毒の定義について紹介しましたが、今回はアル中がいかにして心の病気と認識されるようになったかを紹介したいと思います。前回の記事はこちらです↓

なだいなださんの著書、「物語風アルコール中毒」を読みました。 これまで、アルコール関連の書籍を何冊か読んだのですが、その中でも紹介されてい...

「お酒がやめれないのは意思が弱いからだ!」

こういう考えから、心の病気へ変化していきます。

アル中は病気です

「アル中は病気です」

こう患者の妻に告げると、妻の態度は一変するそうです。

病気ならしかたない。あの人は本当はいい人なのに、病気が悪いんだ。

と思うようになり、その途端、治療にも協力的になってくれるそうです。

以下、本より引用します。

「これまではアル中をなんだと思っていたのですか?」

私が尋ねると、

「根性がねじれているんだ、と思っていましたよ。私たち家族がこんなにも苦しんでいるというのに、自分だけは勝手に酒を飲んで暴れる。全然反省がない。わざと私たちを苦しめようとしている人でなしだ。人間じゃない、悪魔だ。そう思ってました。そうとしか思えませんでしたよ。だから、もう離婚しかないと思いつめていました。でも、今、分かりましたわ。病気なら治るかもしれない。まず治療させましょう。ともかくお医者さんに任せます」

病気ではないと思っていたら、ひたすら憎んでしう。確かに許すことはできないだろう。たかが言葉だ。だがその言葉がアルコールの問題では、けっこう重要な役割を果たしてきたのである。

出典:物語風アルコール中毒

今でこそ、アルコール外来などの病院もできて「アルコール問題=病気」との認識が広まりつつありますが、昔はそんな感覚がなく、アル中は本人の問題とされてきたようです。

そして、今でもそのように考えている人がまだまだいるのだと思います。

実際に迷惑を被っているのは家族ですから、酒で迷惑をかける夫を憎む気持ちは、もちろんわかるのですが(^_^;)

では、アル中はどのように病気なのでしょうか。

アル中は医学の管轄へ

アル中がどのように病気であるのか。

その考え方もいろいろな変革を経てきたようです。初めは、「中毒」という言葉がアルコールの飲用によって起こった結果である中毒症状に向けられていました。中毒症状は身体的に出るので、これは病気であるというわかりやすい理論だったようです。

しかし、「飲み続けた結果、中毒になる。」そうわかっていても飲み続けてしまう人が多い。ということは、お酒に人間を引き込む原因に目を向けるべきではないか?と考えられるようになっていき、「その原因も含めて病気だ!」という意見と「原因は別だ!原因は病気ではなく意思の問題であり、道徳的特性の欠如だ!」との意見に別れたそうです。

後者は先ほど紹介した奥さんが病気だと告げられる前の考え方ですね。

この二つの考え、「こちらが正解です」と簡単に結論づけられるものではなかったそうなのですが、なだいなださんがアルコールの専門医になるころには「原因も結果も、すべて含めて病気だ」という先ほど紹介した前者の考えに傾きつつあったようです。

こうして、アル中患者さんは全てのお医者さんの手にゆだねられることになりましたが、そうはいっても「原因は別だ!」と考えるお医者さんもまだいたようで、そういう考えを持ったお医者さんは患者さんを『道徳的劣悪者』として扱ったそうです。

これを見ても、いかにお酒の問題が難しいか。ということがわかります。

アルコール中毒は心の病気

全てのお医者さんが診ることで始まったアル中治療ですが、次第に心の病気ではないか?と認識が変わっていきます。以下、本文から引用します。

中毒になった人間にアルコールをやめるようにいっても効きめがない。酒が酒を呼ぶ状態だからだ。アルコールによる中毒の症状は、病院に入院させ、中毒の原因であるアルコールを断ち切らせ、侵された内臓の機能を回復させれば消える。だから外見上治っているように見える。日常生活が可能な程度には回復するからだ。だが、こうしてアルコールを断たせて退院させると、またすぐに酒を飲みだし、中毒症状に逆戻りだ。賽の河原で石を積むようにむなしい。当然、なぜ酒の誘惑に負けるか、の方に目は向く。そこで、やめさせてもまたすぐに飲みだすことこそが、病気の核心であると考えられるようになったのである。

このようにして、アル中は、中毒を治す内科の仕事より、誘惑に負けて酒を飲む患者の人格の問題を取り扱う精神科の仕事になってきた。

出典:物語風アルコール中毒

こうして、今のように精神科でアルコール外来などを受診することが一般的になっていったようです。

「心の病気であるなら、その病気が治ったら、迷惑をかけない程度に飲めるようになるはずである。では、酒をやめさせるのではなく、適度に飲めるように戻すのが本当の治療ではないのか?」

と考えるお医者さんもいたようで、実際にそういう治療をしたお医者さんもいたようです。しかし、理論的には正しく聞こえるこの主張も、現実的ではなかったらしいです。

その患者さんは飲み続けている間家族を苦しめ続け、飲みすぎずにいれる状態になるまで多大な時間と手間を要し、ようやく飲みすぎずにいれる状態になった頃には家族は解体、社会的地位を失っていたそうです。

なだいなださんは、これを

手術は成功です。でも、患者は死にました。と言っているようなものだ。

と書かれていましたが、本当にその通りだと思いました。

どのような状態を持って「治った」と言うかは難しいそうです。「治った」と思うとまた飲んでしまうので。。。なので、「治った」と思うのは危険だと書かれていました。

この辺りは本記事の主旨ではないのでこのへんにしときますが、アルコールの治療というのは一生続くものだという認識を持つべきだと思いました。

おわりに

今回は物語風アルコール中毒の中から、アルコール中毒がどのようにして心の病気となっていったかについて紹介してみました。途中、割愛している部分もありますので伝わりにくい部分もあるかと思いますが、この本、とても勉強になります。

今回で物語風アルコール中毒の紹介は2回目ですが、次回、最終回にしたいと思っています。

最終回は今回と少しかぶる内容もあるのですが、アルコールと自我の関係について紹介したいと思っています。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございました。

※最終回はこちらの記事で紹介してます↓

なだいなださんの著書、「物語風アルコール中毒」の紹介記事、第3回目です。 前回の更新より間が空いてしまいましたが、今回で最終回となります。...
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